「良い知らせと悪い知らせがある」の悪い知らせの方

「良い知らせと悪い知らせがある」なんて言い回しを洋画なんかだと良く見かけますが、我が家にも良い事と悪い事がありました。

今日は悪い知らせの方を報告したいと思います。

 

 

9月末頃、父が他界しました。
69歳でした。

 

昨年夏に胆管癌が見つかり手術をしました。
胆管癌は場所が悪いと手術すら出来ないらしく、手術が出来る場所だったこと、比較的早期発見だったこともあり、無事に摘出する事ができたので、その時は運が良かったなんていう話をしていました。

しかし、その後の検査では癌の反応が消えず、場所の特定も出来なかったので抗癌剤治療をすることになりました。

 

抗癌剤治療を続けていましたが、今年の夏、右大腿骨への転移が見つかり、自由に動ける身体を諦めて、生きる為に大腿骨上半分を人工骨へ置き換えました。

父の誕生日はちゃんと家で祝おうと家族で約束をしました。
入院生活と手術で失った筋力をつけ、人工骨での動き方を学ぶためのリハビリを短期間で終え、父は約束を守って誕生日に退院し、誕生日と退院を家族で祝いました。
7月のことでした。

 

それからどんどんと体調が悪くなり、再度入院。
そして8月の終わりには1ヶ月の余命宣告を受けました。
身体中あちこちに癌が広がっているようで、もう治療は出来ないということでした。

 

肺に溜まった水を抜くためにお腹を切って開いたまま管に繋がれ、もうベッドから動くことも出来ません。
痛みもかなりあるはずということでした。
それでもお見舞いに行けば父親らしい堂々とした振る舞いをしていました。

そんな状態になっても、肺の水が止まれば抗癌剤治療が再開出来ると言って治ろうとする父を見て、母は本人への告知をしないことに決めました。

 

9月の後半、後一週間だと再び余命宣告を受けました。
その頃には鎮痛剤や精神安定剤の影響で意識は不安定で、しっかりと会話が出来る機会は少なくなりました。

宣告された日になる頃には全ての認識が曖昧になりました。
自分が今どこにいるのか、自分が誰なのか、自分が子供なのか大人なのかもよく分からないようでした。
いつその時が来るか分からないので、親戚と家族が交代で24時間付き添うようにしました。

 

夜中、まともに会話が出来なくなった父が、やけにしっかりした口調で寝言を言いました。いつも通りの、母に話しかける時の口調でした。

「おい、ちゃんと考えないと。子供達の為にも。」

たったそれだけの言葉でしたが、衝撃が強過ぎてしばらく動けませんでした。
ボロボロの体で、意識も記憶もあやふやな状態で、今にも命が尽きようとしているのに、もう十分に大人になった子供達の事をまだ心配しているのです。

 

自分がどれだけの愛情に守られていたのか、この時やっとその大きさに気付けた気がしました。
分かっているつもりだったけれど、まったく想像は足りませんでした。

 

 

宣告の日から一週間後。
途切れ途切れだった呼吸は完全に止まりました。

 

父に貰った愛情はもう返すことは出来ません。
貰った愛情は、自分の周りの人、特に家族、特に子供に渡していこうと思います。

もし父が生きていたとしても「そうしろ」と言うと思うので…

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